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もう一軒のCafe in Paris VOL.13

◇「愛される料理を覚えて、自分と回りを幸せに!」

「高く昇ろうと思うなら自分の足を使うことだ。高い所は他人によって  運ばれてはならない」                

                        =ニーチェ=

ミッシェル・ショーダンでの無給生活で、お金を使い果たしてしまった僕は、ちょっと焦ってきました。

彼のところにいる間は、毎日が勉強で、無給でも不安が生まれなかったのですが、辞めたとたん、貯金がない、仕事がないの現実が目の前に壁となって現れたのです。

・・・今思います、お金がなくても目的があるとあんまり不安を感じないけれど、目的がないと不安ってすぐ来るのです。・・・・・
そして半年前、断られ続けたので、少し気後れしていた僕は、なかなか仕事を見つけるために店を尋ねる気になれなかったのです。

と、ふと、友人が以前紹介してくれた、オペラ近くのキャフェを思い出しました。
そこのシェフ小川さんは日本人で、長くパリで暮らしているのです。
お子さんも、奥様もいらっしゃり、僕からみると普通の人間の暮らしをしている。(笑)

変?ですか?

観光ヴィザで入国し、なんというか、異邦人で透明人間のように暮らしている僕にとって、まぶしい存在だったのです。すごくまぶしかった。

大手を振って歩ける。
車を持ってる。(一緒に仕事して、初めて知ったのですが)
自宅がある。
奥さんがいる。子供がいる。・・・・・・超・人間らしい。

自分の立場を思うとちょっと切なかったです。・・・ちょっとだけね。

数多くの日本人料理人は、日本から来たとき、また帰るときに彼の元に立ち寄るのです。

実は、以前お話しした、僕がくじけたキャフェのオーナーは、この店である時期修行していたそうです。
そして、あのキャフェで仕事を始めたある日、オーナーが僕とのコミュニケーションに不安だったのか、いつの間にか小川さんへ電話して、僕と替わり色々説明を受けた事がありました。

そこで、小川さんを尋ねてみることにしたのです。
僕は、あまり多くの料理人とつき合わなかったので、他にどうしてよいかわからなかったと言うのが本当のところです。

そうしたら、丁度これから夏に向かって、コックさんが一人ずつ、バカンスを1ケ月ずつとるので、4ヶ月間くらい人が足りないとのことです。

もう胸は張り裂けそうに嬉しくなってます。
勿論、お給料ももらえますから、これでしばらく、安心して暮らせる訳です。
                           
約束の日。キッチンに入って、だいたいの流れを聞いて、仕事を始める。
最初から言われてはいたのですが、戦場のように忙しい店です。
(よく調理場は戦場にたとえられるのですが・・・・・)
何も言う暇もない。ランチタイムはただひたすら、盛り付けて出すのみ。
オーダーの号令。皿の音、鍋がふれあう。身体がぶつかる。包丁やフォークがまな板の上を飛び跳ねる。

この瞬間、料理を作るというのは、潜在意識でやっているようなものです。(爆)

実は、この半年後に、NYへ行くのですが、NYの店はここより忙しかったのです。もうメチャクチャ(爆)ですから、ここで4ケ月、スピードにもまれて本当によかったのです。

12:00~14:00まで無呼吸感覚でびっしりオーダーをこなします。(笑)

キャフェですが、使っている材料、出される料理は、一流店と何ら変わらないどころか、それ以上のもばかり。(トリュッフとキャビアが登場しないだけ)ですから近くのお金回りのよいビジネスマンは、毎日ここに来るのです。

ランチ専門ですから、ステーキフリット(牛肉のステーキとフライドポテトの一皿)と、冷前菜をのぞき、全て日替わりです。
その日替わりも3種類もあるのですから、とにかく忙しい。
何も考えないうちに、時間が過ぎ去るのです。

毎日変わる料理は、なんて言うか、あらゆるレストランのいいとこ取り、
ベスト版みたいな、ワクワクする料理ばかりです。
シェフがとても勉強家なので、どんどん新しい料理が出るのです。

いくら客数が多くても、いくら忙しくても、僕は本当に楽しかったです。
「やっぱり料理人なんだなぁ。」

なんて言うか水を得た魚のよう。(これって本当は他人に言ってもらう言葉でしょう?)自分で、自分がそんな風に思えたのです。

一人で勝手に何もかも背負い込んで、自分を檻の中に入れてしまった去年。勉強のため、楽しかったけれど、今までと違う素材(チョコレート)にある意味翻弄された半年前。

自分の体に馴染んだ、料理を作るという動きを、自分一人ではなく、チームで作っているそんな嬉しさ、楽しさ、心の軽さ・・・。

この心の軽さは、僕に最高の悦びをくれました。そして、素直に仕事が楽しかったのです。
アッという間に、1ケ月、2ケ月・・・約束の期限が消化されてゆく。

夏が終わると、スタッフも全員戻ってきます。
さぁ、どうしようか?
ミッシェル・ショーダンを辞めた後は、無一文に等しかったから焦る気持ちが、底知れぬ恐怖となり僕の心をおそいましたが、今度は違います。

4ケ月びっしり稼ぐのです。料理人は食事代があまりかからなくてすみますし、僕は酒もタバコも、賭け事も、そして●●●●●●(笑)もしませんから、貯まります。

それに、当時僕が住んでいたホテルは、1泊800円位なのですから!

実は、小川さんを紹介してくれた友人が半年前からNYのフレンチで仕事をしてました。
フランスの修行を終えて、NY経由で日本に帰る。と言う事でした。
その彼から「川名さん、僕が日本へ帰るときに替わりにNYで仕事しますか?」って話しがあったのです。

人生ってわからないですね。
日本を発つときにNYの「ニ」の字も、思いもしなかったのにです。
だって、フレンチの料理人は、普通NYへ行きませんって。

でもその時、「NY」と言う音の響きに食指が動いたのです。
きっと、パリである程度暮らしたからでしょう。「行く、行く、行くぅ」・・・・

ある程度貯金をして、料理の腕とスピードに磨きがかかった僕は、
根拠のない自信を持ってました。(爆)
猛然とパリを後に、NYへ行く準備を始めたのです。
電話して、日にちを決めて、アパートを探してもらって・・・・。

更に、日本から彼の後輩の佐藤君が,NY入りすることになりました。
佐藤君は、NYの仕事が終わったらフランスへ行きたいとのこと。
僕がパリに戻る頃なら、色々手伝えるだろうという、段取りが出来たのです。

こういうのって日本から、旅行とかで行くとなると結構大騒ぎじゃないですか?
いつ?住むところは?どうして暮らすの?どこで落ち合うの?
どうやってフランスへ戻るの?・・・

でもね、何故だか電話で、数分の会話で終わってしまうのです。
今みたいに、携帯もFAXもなく。ましてやE-mailなんてハリウッド映画の話しでしょう?
連絡手段が非常に不便なのにすぐ決まる。(逆かな、不便だから確実にすぐ決まる?)
もう、回り始めたメリーゴーランド。全てが音を立てて動き始めました。

人生でこんなメリーゴーランドに乗ることって、ない?
今思うと、あんな面倒くさいこと、不安に思うこと、わからないことを
全て何気なくこなしていたものだと、不思議に思うのです。
英語だって、フランス語だって、“まとも”には(笑)出来ないのです。
                              
NYの仕事は、年末にむけて、そして初夏まで。
クリスマスシーズンのかき入れ時のスタッフです。
英語大丈夫かなぁ。と言う不安はありましたが、フランス料理屋です。
それにシェフはフランス人なので、会話にはフランス語が使えると言うことでした。

その当時の僕は、既に大学受験英語の後全くご無沙汰していた英語より、フランス語の方がまだましだったので、これにはちょっぴり安心しました。(ホッ)

パリの旅行代理店で、パリ-NYの格安チケットを見つけて、
(これは1年オープンで買ったと思います)
いざ出発。荷物はトランク1つですから、日にちが決まれば早いです。

「シャルル・ド・ゴール」から「ジョン・F・ケネディ」へ・・・・。

パリの生活からNYの生活へ。

生きて帰れるのかなぁ?(笑)

全く先が見えない明日へ出発してしまいました。                
                                                          Yoshinori.K
料理教室&BistrotRIANT http://homepage2.nifty.com/riant/

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