神様の忘れ物 Vol.29
◇「食べ物が身体を作る。何を食べるかで、身体と心が変わる。」
↑(これ本当です。大切な一行なんだけれども・・・・・)(笑)
翌日から、僕は母乳を国立小児病院へ入院したまだ名前の無いわが子へ、運ぶ様になりました。
飯坂の帝王切開の傷口が癒えるまでの1週間ほどです・・・・。
当時の仕事も今と同じ、料理教室の講師及び料理長だったのです。
ただ、生徒さんが300名もいらしたので、当然スタッフも数名いました。
また、コースもA、B、Dと分かれており、僕の担当は月下旬のD(応用)でした。
2年前なら、僕はキッチンから離れられませんでしたが、既に若いスタッフが仕込みも準備もしてくれていたので、僕は講義時間内に仕事を集中して、合間には病院へ行かせてもらいました。
これは、14年たった今でも、心から感謝しております。
そして、僕がこの職場を、半ば導かれるように選んだ最大の理由が分かったのです。
「運命」はあります。でも、誰も知らないのです。
お昼のクラスが終わると夜のクラスまで3時間ほどあります。
職場から飯坂の入院している病院も、赤ん坊が入院している病院も30分程で行くことが出来ました。
まず飯坂のいる病院へ行き冷凍保存されている母乳をもらい、そこからバスに乗り当時三軒茶屋にあった国立小児病院まで行くのです。
飯坂の主治医も、予期せぬ事態になっていったことに驚いていたと思いますが、僕の不安を取り除こうと、それまでより何かと声をかけてくれました。
ただ、はっきりとどうなるかは言えないと言うことでした。
その病院の看護婦さん達も、この病気について詳しくは誰も知りませんでした。
僕は多少苛ついていたのです。
何故こんな事になるのだろう?
凍った母乳の入ったデイパックをひざの上に抱き、バスの座席に座っていると、窓の外にやたらと親子がそれも、母親と一緒の小さな子が目にはいるのです。
こんなに小さい子が、街にはいたんだ。
知りませんでした。
いえ何も見えていなかったのです。
そして、前日あの病室に置きっ放しにしてきた、赤ん坊に着せるおくるみやタオルケットを思い出した刹那、静かに涙がこぼれ落ちてきました。
こんな事で、何故?
まだ、どうなるかも解ってもいないのに・・・・。
「おめでとう」「いらっしゃい」「はじめまして」と言う明るい声と笑い顔の中に迎えられるはずだったのに・・・。
国立小児病院の新生児室(通称3C)に着くと、まず手をよく洗い、上着を脱ぎ・・・。しっかりと身を包む長い白衣を着て、髪の毛を隠す深い帽子をかぶらなくてはいけません。
入口のマットは、巨大な両面テープの状態で靴の裏のほこりをはがし取っていました。
更に各病室の入口に備え付けられている手洗いで再度洗います。今度はうがい薬のイソジンの巨大なものが、蛇口の横に付いてました。
その巨大なポンプを押すと手に濃い茶色の液体が吐き出され、それで手をよくもみ洗いしました。手が荒れることを後から知りました。
生まれてすぐの母乳には、生まれてまもなくの純粋な身体をこの世の大毒(笑)から護る栄養素がたっぷり入っているので、これは飲まなくてはなりませんが、これを少し飲んだら、脂肪分の無い肝臓に負担のかからないミルクにすると言われました。
看護婦さんが、抱き方を教えてくれました。「えっ?抱いていいの?」
僕は、恐る恐る手を延ばしました・・・。
「わっ!」・・・何という軽さなのだろう。
今にも壊れそうなその身体には羽根でも生えているんじゃないのかと思うほどでした。
「僕と一緒に、いてくれるよね・・・?」「何処にも行かないよね・・・・?」
ふと時計に目をやると、もう職場にもどらなくてはならない時間でした。
空気の様に軽いその子を小さなかごの中にそっとおき看護婦さんに会釈をして、僕は更衣室へ向かいました。
白衣を脱ぎ、帽子を取り、上着を着て出口へ向かいます。
自動ドアが開いたとたん廊下の喧噪が耳に入りました。
現実・・・。
でも、ここにいる人たちは皆、何かしら重い病気を抱えた子供や孫を持っているのだと、思うと、その喧噪もなにやら身近に感じられ軽い親近感さえ抱くのでした。
職場にもどりながら、この病気を調べる方法を考えました。
まだインターネットは普及しておらず、パソコン通信の時代でした。
翌朝、新聞を広げて、ボーっと読んでいたら、信じられないことにそこに今まさに知りたい文字列が並んでいたのです。 「引き寄せた・・・?」
「先天性胆道閉鎖症」
この病気を持つ子供の親御さんが集まっている会があるのです。
僕は、思わず新聞社に電話しました。
そして、この記事を書いた方ではなかったのですが、担当部署の方とお話ができて・・・。
その新聞社のデータベースから、過去に「先天性胆道閉鎖症」を取り扱った記事のバックナンバーを教えて下さったのです。
(実はいきなり電話して調べてくれるものではないことを、後に知るのです)
僕はそれを頼りに、そのバックナンバーのおいてある図書館を探しました。
目黒区立守屋図書館にありました。
だんだん、先天性胆道閉鎖症というものが分かりはじめたのです。
それまで人ごとでしかなかった、「生肝体移植」と言う文字を同時に調べるのとさほど変わらないことが解りました。
当時生肝体移植をしている病院は、日本では信州大学と京都大学しかありませんでした。
海外へ行かれた方もいらっしゃるとのことでした。
その際には、渡航費を含めて二千万円ほど準備しなくてはならず・・・・。
親御さんの会は、そのような費用を募金で集めようとする意味もあったようです。
こんな沢山の費用は、募金でなければ普通は用意できないでしょう。
仕事の合間合間の、下調べなのでそんなに順調に全てを理解することはできませんでしたが、かえってそれが良かったのだと思います。
変に知識ばかり身について、先走ることが無かったから・・・・。
国立小児病院へは、時間の許す限り通いました。
飯坂も退院し、面会時間いっぱいっぱい、時に少し早く行きすぎて、時に延長して看護婦さんに催促されるまで、はかなげな小さな命に付き添ってました。
検査入院は一月間です。
その間に、今後の予定も立てられていました。
五月の連休後に開腹手術をして、実際のところ臓器がどの様な状態か調べ、可能であれば
そこで処置をする。
可能でなければ・・・・。
何もせずに閉じる。それは移植を意味することでした。
新生児室の面会時間は、一人の赤ちゃんにたいして一人の保護者しか入れませんでした。
飯坂が白衣と帽子をまとい中にいるとき、僕はガラスごしに写真をたくさん撮りました。
他の患者さんや保護者が写らないように・・・・・。
それは、想像したこともない様々な先天性の難病を抱えた新生児が沢山いたのです。
殆どがケースの中にいました。また、殆どがとても小さかったのです。ビックリするほど。
看護婦さん達とのコミュニケーションも増えました。
主治医との面談もありました。
生後一月の赤ん坊のお腹をメスで開くのです。
治って欲しいとは思いましたが、女の子です。
その事を思うと、何とか開腹手術をせずに治らないものかと・・・・・。
知り合いのドクターに尋ねました。
そんなとき、お腹に小さな穴を空けてカメラを入れ行う手術があることを知り、その話もしたところ、まだまだ技術が発展途上だから、やはり開腹をすすめると言われがっかりしたことを、覚えています。
また、ある方は新興宗教の世界へお誘い下さいました。全くの善意です。
集会場?(元来お寺や神社と言われている場所でしょう)にも何度か御一緒させて頂きました。そして、いよいよ、明後日手術だと言う日に、とても親しい知人から紹介された中国人の気功医師と会うことができたのです。
これで、治れば、「奇跡の気功」なんてマスコミが飛びつきそうですが・・・・。(笑)
確かに奇跡もあると思います。
宗教の力も、気功も疑ってはいません。夢も叶うでしょう。
でも、やはり叶わない夢も、力及ばない宗教も、気功治療もあるのです。
特に時間が限られていたのですから・・・・。
四方八方に手を尽くし、手術前に僕たちができる限りの情報を探し、手を打ちました。
そして、五月の連休が終わった日。
生後一ヶ月の天使の大手術が始まりました。
全く、自分でどうすることもできない大きな時間が音をたてて流れていて・・・。
僕は不思議なことに流されず、ただ一カ所にとどまってその流れを眺めている様でした。
Yoshinori.K
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