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1994年5月7日 Vol.30

◇「食べ物が身体を作る。何を食べるかで、身体と心が変わる。」
  ↑(これ本当です。大切な一行なんだけれども・・・・・)(笑)

1994年5月7日・・・。
ゴールデンウイークが終了し、ドクターが全員揃って・・・・。
とうとう、長女の手術の日となってしまいました。

生後ひと月足らずの乳児の開腹手術という事が、どんなに不安なことか・・・・。

右往左往するでもなく、自分で何かを変えられるでもなく・・・・。
ただ、黙ってなるままになるように・・・。

言葉も出なかったと言うのが本当のところなのでした。。
それから・・・・・。
余りよく覚えていないのです。

結局、心ここにあらずという状態で、何も言えなかったに過ぎません。
口を開いたとしても、家族に何といえばよいのか・・・。
不安がるわけでもなく、強がるわけでもなく・・・。

昨日までは、何かに向かっていました。
それは・・・。
「これは何かの間違いで、きっと健康体なはずだ。とわかり、退院出来るかもしれない。」と言う、科学的、医学的に何の根拠もない、「大丈夫」に向かっていたのです。

飯坂も同じ気持ちだったのでしょうか?聞いたことはありません。

でも、審判の日は来たのです。
間違いなく手術が始まるのです。

何も知らない長女は、前日まで思い切り身体を動かし、抱く者の心をまるで見透かす様な瞳で見つめてました。

すこしずつ、世の中が見えてきたのでしょう。
誰が抱いても、しっかりと見つめてました。
そしてその抱く者が語りかける口元から一時も目を離さないのです。

彼女は、よくあくびをしてました。
小さな手と足をのばして・・・・。
循環が悪いせいか、足先が冷たいと言うことで小さな靴下をはいているようでしたが、
それは、看護婦さんがカーゼをまいて作ったレッグウォーマーの様な感じでした。

そしてお腹が空くのでしょう、よく泣いていました。
看護婦さんがほ乳瓶の口先だけを貸してくれました。
「おしゃぶり」にするのです。

ミルクが入っていなくても、それを吸っているだけでおとなしいなんて・・・・。
知ってはいるものの、今目の前にして見るととても不思議でした。

ウトウトしていたのでちょっと悪戯をして取ってみたら・・。
いきなり泣き始めてビックリ・・・。(オット、ごめん)(爆)

検査入院のひと月間は、病気と言うよりも「神様が忘れ物をしてしまったんだ。」と思いながらの日々でしたが、それなりになんとも不思議な幸せを感じていた事も確かです。

手術の朝、飯坂がおむつを取り替えているのを横で見ていました。
タオルで作られたおくるみの紐を解き、おなかが見えました。
生まれてひと月たち、この世の空気にも慣れ、食事制限とはいえ必要量のミルクを飲み
のびのびと手足を動かし始めた長女の、傷もしわも無い出来立ての美しい肌が・・・。
そこにありました。

その時、これから大変な事が始まるのだと、急激に焦りと不安が押し寄せてきて、
今までの幸せがガラガラと壊れてゆく思いで胸が一杯になりました。

もうこの子が死ぬまで、この状態のお腹にはもどれないのか・・・・。
この美しい造形物を壊してしまわなくてはいけない・・・・。
それは、仕方がなかったにしろ、僕にある種の罪悪感を感じさせたのです。

長女のベットの名札の脇に、赤く塗られたボール紙に黒い文字で「手術です」と書かれた告知札がつるさげられました。
なんだか、だめ押しのようなお知らせに感じられました。
そして全くお門違いなのだけれども・・・・。
看護婦さんが意地悪をしているようにさえ思えたのです。
「解っているよ。いいよ、そんなお札をかけなくても・・・・・・。」

そんな気持ちがあふれましたが、それははっきりと僕を現実に引き戻したのです。
小さな絶望と大きな希望の「赤いお札」でした。
お腹の大きな切り傷と引き替えに、彼女は宇宙でたった一つの命を手に入れるのです。

そして手術が始まる時間になりました。
担当の看護婦さんが小さな長女をいつものように抱き上げ、小さなバスケットの寝台に
移し、タオルをかけ押し始めました。
僕と飯坂も後を付いて・・・。

そして、すぐに僕たちは離れる場所に到着しました。

手術室の横にある待合室でまんじりともしない気持ちのまま、僕は家族と共にいました。母が「座ったら」と声をかけてくれましたが、何とも落ち着かない僕は人のいない手術室の前の廊下を行ったり来たりしていました。

いまだかつて経験したことのない、全く止まってしまった様な、逆に激しい轟音をたてて流れている様な、不思議な時間を感じました。

手術時間は・・・・。
3時間だったのか、5時間だったのか・・・・。
ずいぶん長かったように思います。

今でも、不思議なのですが・・・・・・。

治らないとか、不可能だとか・・・・。
肝移植が必要だとか・・・・・。全く考えていなかったのです。
治らなかったらどうしようとか。その日、思ってもみなかったのです。
ちらりとも・・・。本当に。

かなりの確率で生肝体移植になるか、いつまで生きられるかとか・・・・。
そんな話になる、いわゆる「神様の忘れ物」です。

それなのに・・・・。
手術の当日僕は、全くそれを感じなかったのです。

そして、意図的に思うでも、刹那的に思うでもなく・・・。
何か、淡々とした、静かな気持ちだったのです。

とても静かな気持ち・・・・。

数時間後、手術は終了しました。

奇跡的に肝臓の中の胆管は作られており、その外で出来上がっていなかった管と十二指腸をつなげれば・・・。

手術は、無事成功に終わったのです。

とはいうものの、長女は数時間前の一見健康そうな様子とはうって変わり、何とも変わり果てた姿でベットの上に寝かされてました。

点滴の針が小さな細い足首に打たれ、その小さな鼻には酸素の管が通され・・・・。
その顔には・・・・。
それはまるでケーキを保存するための大きな円柱のプラスチックカバーの様な物が、かぶされていました。

そして、目を閉じてはいるものの、ゆがんだ苦しそうな顔で眠っていました。

生後ひと月の彼女にとって、この世に祝福されて登場してきたにしては、あまりにも
つらい仕打ちのように思われ、涙がこぼれそうになりました。

顔は、手術の影響でむくみ、体内の色々なバランスが壊れたせいか発疹がでて、
ぐったりと横たわっている姿は、痛ましくてやるせない気持ちにさせました。

それでも、この段階の手術で救われたのです。
もしも、肝臓の中の胆管が出来ていなければ・・・・。

長女の様な状況になる確率は、確か八万分の一程だと言われたように覚えてます。

僕は、身体中の力が抜け、ただ、ただ執刀医を初めとして・・・・。
この子を取りまく全ての事柄に、全ての巡り合わせに感謝するだけでした。

                                  Yoshinori.K

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