退院、再入院そして りあん Vol.31
◇「食べ物が身体を作る。何を食べるかで、身体と心が変わる。」
↑(これ本当です。大切な一行なんだけれども・・・・・)(笑)
結局、長女の場合、この手術でほぼ完治の状態になったのです。
勿論、未来はわかりませんから・・・・・。
その時点で出来る最良の結果に終わったと言うことでした。
術後ふた月ほどの入院をしました。
主治医が驚くほどの回復力だったのです。
赤ちゃんというものは、ものすごい再生能力があるものです。
そこに、人間の英知、医学の力が・・・・・。
もしそのまま放置すれば、ゆくゆくは細胞が死んで行くだろうものを、そうでは無い方向へ向かうようにと、そのきっかけを与えたのです。
まだ、生後一月です。
当然、僕らの話しも理解していません。
何の知識もありません。
ただ、その身体は、「生きよう」「生きよう」として生まれてきたのです。
疑いを知らないその活動は、その体内の宇宙をより活性化させた事でしょう。
身体はみるみる回復し、退院の日を考えるようになりました。
前代未聞。主治医も驚きを隠せないのですが、全データがOKサインを出したのです。
夏に一度退院しました。
そう「一度」が結局付いたのですが・・・。
その訳は、退院して一月ほどでしょうか?
真夏でした。エアコンは控えていたのですが、汗疹を心配して扇風機を使ったのです。
そして、そのまま寝てしまったのです。
僕は仕事に行っていて知る由もなく・・・。
地下鉄を降りて家路を歩いていると、向こうの方から近所の歯科女医さんが駆け寄って
きました。
彼女は、飯坂が治療に通う間に友達となったのです。
そして僕は、彼女からつい今しがた、長女の様態が急変して飯坂が救急車に乗って病院
へ行ったことを知らされました。
それまで、のんびりと鞄をぶら下げて歩いていた僕は、その鞄を抱えると一目散に自宅へ向かって走り始めました。
まだ、携帯がない時代です。
とにかく、病院へ行かなくては・・・・・。
そのままの姿で表通りへ出るとタクシーを探しました・・・。
こんな時は、つかまらないものです。が、しばらく進行方向へ向かって走っていたときに運良く空の車が来ました。
乗り込むと、「三軒茶屋の国立小児病院」と告げました。
シートに深く座り込む余裕もなく、とにかく行く先だけを見つめてました。
渋滞に巻き込まれないでくれ・・。信号で止まらないでくれ・・・・。と祈るように。
病院に着くと料金を支払うのももどかしく、外科病棟へ走りました。
つい一月前までお世話になった病棟へ行くと、ベットがいっぱいだったので、
向かいの病棟へ緊急入院させたとのことでした。
挨拶もそこそこに、向かいへ走り込みました。
「今、救急車で運ばれた川名ですが・・・・。」
看護婦さん達の詰め所で、半ば叫ぶように言いました。
婦長さんらしき方が、説明に来て下さって・・・・・。
「大丈夫、大丈夫、今寝ているだけだから・・・」
「お母さんもきっと看病疲れでしょう、あちらのベットで寝ています」
と、顔を向けた先の病室には、飯坂が寝ていました。
長女は、別室で寝ているとのことでした。
へなへなと座りたくなるような心持ちでしたが、何とか座り込まずに、飯坂の近く
へ行くと、目を覚ましていました。
この夏の日から、クリスマスまで、長女は再入院になったのです。
とはいうものの、あくまでも用心のためと言うことだったので、本当に安心しました。
そして病院で離乳食が始まり・・・・。
飯坂は時間の許す限り、病院で長女と過ごしてました。
僕も、仕事が終わると職場からすぐに病院へ駆け付けました。
飲食店の料理長だったら、とても無理だったでしょう。
料理教室の仕事が僕のところへ来た理由が、この時解ったのです。
人生は不思議です。そして全てには、訳がありました。
さらにその全ては、奇跡に近いのです。
長女の成長が安定すればするほど、僕たちは退院後の生活を考えるようになりました。
ディスカッションではなく、何となく・・・・。
それは、夏の緊急入院を経験したことで余計強く心に刻まれていました。
長女と共に生きなくては・・・。
家に一人置いておくことも、ベビーシッターも、託児所も・・・・・。
全て出来ないことです。
かといって、僕一人の給与では心許なく・・・・。
また、あの女医さんの友人達が集まると、こんな話が出ました。
「いつ“シェ 川名”は開店するのぉ~」等と冗談とも本気ともとれる話が出て
いました。
その中で雑誌編集の仕事をしていた友人が、飯坂のキャリアを「もったいない」と
口癖の様に言ってました。
この言葉は、かなり僕の背中を押しました。
物事を行動に移すときのきっかけなど、たかが知れています。
その結果、自分の店を持とう。そうすれば子供を見ながら仕事が出来て、飯坂の仕事もある。全ての条件が揃う・・・・。かなり簡単に考えました。
ところが・・・・。(今思うと)(笑)
大切な売上についてはこれぽっちも考えていなかったのです。(笑)
場所は、国立小児病院から車で10分以内のところ・・・・。
初台、世田谷、下北沢、三軒茶屋、学芸大学、駒沢大学、池尻大橋、中目黒
世田谷線に乗って、見て歩きました。
東横線に乗って、代官山で降りて、中目黒から学大まで・・・。
実はこの時、今の「りあん」から数百メートルのところを歩き回ってました。
結局、知人に紹介された不動産屋さんの物件で、中目黒に決めました。
実際オープンしてからも、時々この近所の不動産屋さんを覗くことがありましたが、
飲食店として利用可能な一軒家は・・・・。ないも等しいです。
あったとしても、費用と場所を含めた条件が全くあいません。
この場所は・・・。奇跡なのです。
今だから、こんな風に言えるのですが・・・・。
全て奇跡に等しい事が、起こりました。
それは、フェラーリや3億円が当たったとか・・・。
そんな事よりもっと、もっと奇跡だったことに気が付くのです。
人生に計画は必要なのでしょうが・・・・。
この頃の僕たちは、例え計画していたとしても、全く意味をなさなかった様な日々です。
そして、無計画でも、まるで絵を描いた餅のように最良の路を歩んだのです。
「路はあるものではなく作るもの」という言葉がありますが・・・・・。
決して、僕らが作ったものではないです。
何かに導かれて・・・・・。
それを人は「神」と言うのかもしれませんが・・・・・。
僕らは、導かれたのです。
そして僕たちは、ここに「りあん」を開店しました。
この一連の奇跡的な事柄の根本は長女でした。
その長女の名前は「理衣(りい)」
りあんには幻の名前があります。(笑)
それは「理庵」~りあん~
奇跡を連れてきた長女の名前から一文字をもらったのです。
でも、お蕎麦屋さんか居酒屋さんに間違えられそうと言うことで、フランス語表記に
変えてしまいましたが・・・・。(笑)
その日から、今日までの一瞬のような14年間が始まったのです。
Yoshinori.K
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